FBS福岡放送
8月15日、日本は終戦から76年となります。15歳という若さでフィリピンに渡り、海兵として戦った92歳の男性が、これまで語ったことのなかった当時の体験を初めて口にしました。 ■中村政夫さん(92) 「(隠れていた)岩に弾があたって岩の破片がビシビシと私の体に当たりました。」 76年前に体験した生々しい戦争の記憶を話すのは、北九州市八幡西区に住む中村政夫さん(92)。中村さんは、15歳という若さで東南アジアのフィリピンで戦闘に参加しました。 その恐怖、その悲惨さを中村さんはこの日まで、人前で話したことはありませんでした。 久留米市出身の中村さんは、14歳の時に志願して当時の海軍の通信兵に合格。 1944年、太平洋戦争が終盤に差し掛かる中、中村さんはアメリカの植民地フィリピンを占拠するため出発を命じられました。 ■中村政夫さん(92) 「日本人男性であれば、誰でも軍隊に入ってアメリカ軍と戦争をしたいというのが、日本内の思想でした。(北九州市の)門司港の岸壁で軍楽隊が50人くらいいた。」 しかし、中村さんの乗っていた輸送船は、フィリピン上陸前に敵船の魚雷が命中し、沈没。約7時間もの間、海上をさまよった中村さんは、日本の船に救助されてフィリピンに到着しましたが、息つく間もなく敵の襲撃にあいました。 ■中村政夫さん(92) 「毎日毎日敵がくる(基地があった)バタンガスの湾岸は大きくて、(敵機が)そこをぐるっと回ってきて来て撃ちまくって、それが20機くらいが連続で撃ちまくってくる。生きるか死ぬかの経験をしてきたから一生忘れない。」 52万人もの日本人が命を落としたフィリピンでの戦い。その中を生き抜いてきた中村さんは、悲惨な戦争の記憶を世の中に残すため、約30年前に手記をまとめました。 しかし、自らの記憶を呼び起こす作業は想像以上に辛く、苦しいものだったといいます。手記には「この経験談を書いた夜は一睡もできずに朝を迎える。戦後の小説または映画を見ても頭が痛み眠れない」と書かれています。 ■中村政夫さん(92) 「14歳でですよ?14歳で人を殺さないといけない。それが戦争ですよ?戦争が終わって30年くらいまでは、人前で話す時は声もかすれて、こうなっていた。」 悲惨な記憶を呼び覚ます苦痛に耐えられず、中村さんはこれまで、人前で戦争体験を語ることを避けてきました。しかし、戦争の生き証人が年々少なくなる中、初めて、自分の体験を自分の口から伝える覚悟を決めたのです。 7月24日、北九州平和資料館で開かれた中村さんの「語り部の会」。中村さんの実体験を聞こうと約30人が集まりました。自分の体験をつづった手記を読み返すなどして準備する中村さんですが。 ■中村政夫さん(92) 「最初を読んだだけで。」 当時の記憶がよみがえります。それでも懸命に生き抜いた、あの経験を伝えます。 ■中村政夫さん(92) 「この月と我が家の庭から見た月は同じだなと。前日に故郷の話をした人が全身やけど、無線室に入ってきて熱い熱いと言ってきて、ビシャッビシャッ!と目を開いて見てみると、ものすごく私に向かって弾が(飛んできていた)。お母さん助けてと祈りながら体の周辺に何十発か飛んできて、1発も当たらなかった。母に拝み倒して命が助かった。戦争がどれくらいむごたらしい文化というのは身に染みて分かりました。」 2時間という短い時間の中で、自らの経験を丁寧に伝えた中村さん。 ■講演を聞いた中学3年生 「(戦争の)もっと詳しい部分をこういう機会で知っていけたらなと思う。」 ■中村政夫さん(92) 「戦争はどんなものかとみんなに知ってもらえたら、戦争が少なくなるという感じ、戦争で地獄を見てきました。絶対にしたらいけないと思う。」 終戦から76年。戦争の生き証人が少なくなる中、悲惨な記憶を風化させまいと、中村さんは、今回の講演をきっかけに、これからも多くの人にその体験を伝えてゆきます。
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